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2007年12月18日

スバル360

 ワタクシが初めて車を運転したのがこのスバル360CC。昭和41~42年頃でしたでしょうか?当時の国民車の一つでしたですね。当時の一般ピープルにはマイカーは高嶺の花、持っていたにしても軽自動車がせいぜいで、このスバルやマツダキャロルがイッパイイッパイでしたでしょう。



 信じられないでしょうけど、フロント側ドアを開けるタイプでした。住めば都じゃないけど(他の車乗ったことがなかったのが幸いして)、結構あちこちドライブして楽しんだものです。
 その後ですね、カローラとサニーの1000CCクラスの大衆化路線がはじまったのは…。数年前、走ってるのを見かけましたが、正にALWAYSの世界でなつかしかった~。

  


Posted by おさむ茶 at 12:27Comments(6)昭和な時代

2007年11月18日

消えた山形

 んだブログに「消えた山形」とい消えていった昭和の残像サイトがありますが、ワタクシも見つけました。旧県庁を東に上ったオークビル地下にあったクラブ「凱旋門」、県立図書館に向かう途中めっけ!ロープが張られ、うらぶれた姿を晒していました。



 「凱旋門」といえば、山形市ではステータスの紳士達がきれいなねえちゃんを夜な夜なはべらしたであろう高級クラブ…若い頃「いつか必ず行ってみたい」と憧憬の的でしたが、「夏草やつわものどもの夢の後」また昭和が消えて寂しいですな。

  


Posted by おさむ茶 at 11:24Comments(6)昭和な時代

2007年11月14日

ワタクシのお宝

 「ALWAYS続3丁目の夕日」大入りのようですね。今度の日曜日でも、カミサンと観に行こうかなと思ってます。あの60年代の男の子の遊びの定番は、押しも押されもせぬ第一人者の地位を占めていたものがメンコでした。寒河江では「パイ打ち」と呼んでおりましたが、地方によって呼び方がいろいろのようですね。



 懐かしい60年代の品物で残ってるのが、小学校の通信箋とこのメンコだけ。通信箋はあまりにもヒドイのでお見せできませんが、メンコはとんま天狗、鉄腕アトム、時代劇もの…3枚残ってます、チョーなつかしい~~~。
  


Posted by おさむ茶 at 12:27Comments(10)昭和な時代

2007年11月03日

今日から昭和時代に

 昨日、読売新聞朝刊をめくっていたらギョ!昭和にタイムスリップしたかと見間違うような紙面…よく読むと「3丁目の夕日」の全面広告でした。そうか~読めた!今日11月3日が「続・ALWAYS続3丁目の夕日」の公開日とわかってナットクです。
TVでも、前宣伝でパート1オンエアされてましたね。



 2年前、スクリーン前で泣いたり笑ったり…あのメンバーとまた会えるかと思うとワクワクです。一平と淳之助がどのくらい大きくなったのか?茶川と小雪の恋の行方は?鈴木オートのおやじと六子のからみあい…あ~早く見てえ~~~。
おそらく日曜日は毎回行列でしょうから、今日はパスして平日に鑑賞チャウチャウ泣きに行こうと思います。



 ちなみに「ALWAYS続3丁目の夕日」同時期のワタクシの写真がこれ↓めんこかったよなあの当時はw↓

  


Posted by おさむ茶 at 08:21Comments(5)昭和な時代

2007年10月18日

TV今昔ものがたり

 「続・ALWAYS3丁目の夕日」が11月3日公開だそうですね。団塊おやじたちにとっては、遠足前夜のあのワクワク感と似て待ち遠しい限りです。当時「巨人、大鵬、玉子焼き」と子供たちの好きなものと評されていましたが、もう一人忘れてならないのがプロレスラー力道山。ニックキ外人をバッタバッタと空手チョップでなぎ倒す、月光仮面と並んで正しく昭和のヒーローでした。


 プロレスの放映される金曜8時ともなると、TVのある家に集まり「ほれ、そこだ打て!レフェリー反則だべ、どこ見てんだ」と3丁目の夕日のシーンそのまんまでしたね。
当時の新聞広告を見ると、TVって高かったんですよ。17インチ白黒で139,000円ですから、今考えてもビンボー家庭には高嶺の花だったこと…ナットクです。
  


Posted by おさむ茶 at 12:27Comments(12)昭和な時代

2007年08月30日

スカッと爽やか!

「続・ALWAYS三丁目の夕日」が11月に封切りなるそうな…なつかしい昭和の時代。私が初めてコーラを口にしたのは中学の時でした。
新しい飲み物が販売されたというので、ものめずらしさに誘われて購入してみましたが、第一印象は薬のような味がして、その時は美味しいものだと思いませんでしたね。

コーラというと今では缶入りやペットボトルが定番ですが、ワタクシらの時代はこのボトルを指します。このボトルも見かけなくなってから久しいですが、また腰に手をあてて豪快に飲んだあの時代が忘れられません。ボーリング場などでたまに見かける時がありますが、店でも売ってるのかな?

▼蔵王工場竣工記念のボトル、なかなかもったいなくて飲めません。
  


Posted by おさむ茶 at 12:27Comments(13)昭和な時代

2007年06月19日

あんだま&きなこ棒

 洋菓子もいいけどそれなりの年輪を重ねると、和菓子も懐かしくなるものでございます。毎日ステーキもいいけど、たまにはお茶漬けもいいかな?みたいな、そんなワケで今夜は和菓子特集です。
なつかし~これは生協お取りよせの北海道産「北国のしばれあんだま」、ネーミングがスゴいですが甘いあんこを、しばれた(凍り付いた)という意味らしい。あんだまといえば鶴岡でも有名ななやつが、どこのお店でしたっけ?



 次は庄内から日本海を北上して秋田県へ。これもなつかしいきなこ棒、うまか棒ではありません。大豆を炒りあげて粉にして、自然の味を砂糖で固めたこれもチョー懐かしい手造り菓子で、リッチに袋買いしました。これ昔から駄菓子やさんで売ってますよね。あの、きなこがまぶしてあって、ようじがささってるやつ。これもどんどん無くなっていくようで、昭和人には寂しいやね。


  


Posted by おさむ茶 at 12:25Comments(9)昭和な時代

2007年05月11日

薬師祭

 昨日、蛇女の消息を求めて、「薬師祭」最終日に行ってまいりました。でも見世物小屋は、蛇女は引退したらしくお化け屋敷に変わっておりました。そのお化け屋敷ですが、こんなかわいんですよw。



 お化け屋敷といえば、大昔宮崎に旅行したときのこと、青島のお化け屋敷に行ったときです。現地でお友達になった女性とお化け屋敷へ下心持ってGO!しばらく進むと「ギャー」の悲鳴とともに、ワタクシにしがみつき、えへへ…でした。
 ただ外に出てから、腕時計を落としたのに気づいて暗い室内へ腕時計探しのために逆戻り…事情を話たら白衣装身にまとったお化けも懐中電灯で協力してくれました(爆)、ホロ苦い青春グラフィテイです。

  


Posted by おさむ茶 at 08:15Comments(5)昭和な時代

2007年05月10日

見世物小屋

 山形市薬師の植木祭りは今日までですかね。
薬師祭に欠かせないのが見世物小屋、ガキのころドキドキしながら見たものです。出し物の圧巻は「蛇女の見世物小屋」呼び込みおじさんのダミ声口上に引き込まれ、ちょっと中を覗こうととしても、これがビミョーな隙間でなかなか見えませんでした。怖いもの見たさで吸い込まれるように小屋に入ったものです。



 「さあさあ、蛇女だよ~、親の因果が子に報い、幼い頃から癇が強く獣同様に育ったこの女、料理をした物は一切食べず生きた蛇しか食べません。生まれは山形県は月山の麓、山から山谷から谷へと深山幽谷を駆け回り~ (中略)~お代は見てからで結構だよ。さあ、さあ、さあ、さあ入って入って、間もなく始まるよ~」なんと蛇女は山形出身だったと、子供ながらショック覚えたものでした。
 そのほか電球をかじったり、ローソクを口の中にたらしたり…目の前で繰り広げられる芸を今回も薬師祭で披露してくれたんでしょうか?
  


Posted by おさむ茶 at 12:20Comments(9)昭和な時代

2007年04月17日

少年時代

 日曜日、久しぶりにザワセン(左沢線)に乗りました。車中からは霞城公園の咲き始めたばかりの桜を見ることができラッキー!車内放送でスロー運転しているとのこと、最近のJRも粋なことやるね。
ザワセンといえば、ガキのころ線路でよく遊びましたね。もちろんあの当時はプールなどなかったし、もっぱら川遊びでしたね。飽きてくると鉄橋へのぼったり、果樹園の桃をだまっていただいたり、ともかく何もないなかで遊びを見つけて1日過ごしたものです。今だったら「危ないから00しちゃダメよ」みたいな遊びばっかりでしたからね、そんな「少年時代」でした。
 写真は、左沢線寒河江・長崎間の鉄橋にて…いまだったら犯罪だろうな。


  


Posted by おさむ茶 at 08:47Comments(14)昭和な時代

2007年04月12日

デパ食

 最近デパ地下がグルメスポットとして脚光を浴びていますが、自分的にはガキの頃デパートへ行くのが年に1回か2回の一大イベントでした。そしてデパ食で昼ごはんをたべるというのは、その中でも最大のハイライトでした。
 ショーウインドウのサンプルを見ながら何を食べるか悩むあの空間は、至福のひと時でした。入り口に向かうとの食券売りのお姉さんがいて、基本的に相席の大きなテーブルに着くと、ウエイトレスのお姉さんが片手で食券を切り、半券を残して行くんですよね。テーブルの中央にはお盆に湯飲みが重ねてあって、セルフで土瓶からお茶を注いで飲む。あの土瓶って懐かしいなぁ。
 
    

私の記憶しているご馳走で一番ビッグだったのは“海老フライ”。当時はおそらく輸入の養殖ものなんてなかっただろうから、天然の車海老だったのかな?今考えると親も随分ぜいたくさせてくれたものだと、感慨ものです。そのデパートの大食堂も次々と消えていく運命とか…また昭和の遺産が消えていくようで、一抹の寂しさを覚えているのはオヤジたちだけでしょうか。

  


Posted by おさむ茶 at 12:36Comments(15)昭和な時代

2007年03月28日

昭和の星墜つ!

 偉大なる昭和のお笑い&エンターテナー植木等が亡くなりました・
 人それぞれに昔のTV番組に思い入れがあると思いますが、ワタクシの場合なんてったって「シャボン玉ホリデー」ですね。植木等のギャグ「お呼びでない」毎回違ったシチュエーションで登場して、日曜日の夜はオチのこのギャグでずいぶんと笑わせていただきました。
 TVでの訃報ニュースを見ながら、そんなシーンを思い出しました。



 ルパシカ服を着た男声コーラスが「ボルガの舟歌」を歌っている。
「えい、コーラー ♪~、えい、コーラー ♪~」
そこへ工事人夫姿の植木氏登場…
「おかちゃんのためなら、えんやコーラー、もひとつおまけにえんやコーラー」一瞬、周りの冷たい雰囲気に気づいて、「ん? お呼びでない、お呼びでない? こりゃ、また失礼しました~!」ありゃありゃありゃー、コーラス隊、全員ズッコケる。
 合掌!
  


Posted by おさむ茶 at 11:25Comments(6)昭和な時代

2007年03月03日

懐かしい写真です

 といっても知ってる人は少ないだろうな、昭和40年ころの山形駅です。高校時代毎日通った駅ですから、よけいに懐かしいです。正面から入るとたしか左側が切符売り場、右側が待合室でした。ちょうど下校の電車の待ち時間「ひょっこりひょうたん島」を見て帰るのが常でした。暑い時は、ジュース自動販売機(たぶん粉ジュースだったと思うが…)で、腰に手をあててぐっと一飲みするのが至福の一時でした。当時通っていた列車は、昔も今もデイーゼル機関車ですが、朝夕の通勤通学時間帯は大量輸送可能なSLが走っていた時代でした。
 その後昭和42年駅ビルを併設した駅舎に生まれ代わり、さらに山形新幹線開通を契機に今の駅に改築され、さしずめ「孫」ということになり「昭和も遠くなりにけり」。

       

  


Posted by おさむ茶 at 11:59Comments(10)昭和な時代

2007年01月09日

娯楽の殿堂

 最近、邦画の話題作が続々上映されたことによって、映画館が賑わいを取り戻しつつある。と言ってもシネマコンプレックスに限ってだが…。かつて映画は娯楽の殿堂と称され、市町村にそれぞれ映画館があったものだが、TVの影響によってどんどん姿を消していった。寒河江市にも10年くらい前まではポルノなど細々ながら営業していたが、経営者の高齢や映画人口の減少によって文化の幕を下ろした。

   

 「寒映」という映画館である。小さいころ、怪獣映画、ヒーロー映画にわくわくと胸躍らせたところでもある。時には、写真にもある券売り場でおとり役がばあさんと話してるすきにモグリで入ったり、青春時代まで思い出がいっぱい詰まったところである。ここの映画館は2階席が畳敷きになっていて、よく寝転がりながら見たものである。今も建物は残っており、ここを通るたびいろんな甘酸っぱい思い出がよみがえる。

  
  


Posted by おさむ茶 at 13:57Comments(12)昭和な時代

2006年12月20日

KENTOS

 「昭和は遠くなりにけり」そんな思いを強くする昨今ですが、上京の際には必ず立ち寄る店があります。オールディズ専門のライブハウス「銀座ケントス」。60~70年代の音楽を専門に演奏している店ですが、それを聞きながら昭和の若きあのころにタイムスリップする…おやじ世代には日常を離れた至福のひと時です。



 この店は聞かせるだけでなくお客さんに対し楽しませるため、色々工夫されています。
バンドの女性ボーカルは、話術もなかなかで、リクエストカード紹介や客席とのやりとりなど心得た感じでした。あまり、演奏合間にこの時間が長いと、シラケムードにもなりかねませんが、この女性ボーカルの方は、丁度いい感じで次に移られるので、なかなかです。そして狭いながらもダンスを踊れるスペースもあり、ツイスト&ジルバなんか踊って命の洗濯をして帰ります、エガッタな~あのころ。


  


Posted by おさむ茶 at 12:55Comments(12)昭和な時代

2006年12月15日

昭和の風景

 懐かしい火鉢ちゃぶ台、昭和の家族団らん風景に欠かせないアイテムですね。昔「寺内貫太郎一家」で、小林亜星がちゃぶ台をひっくり返すシーンが定番になっていいましたが、映画「ALWAYS三丁目の夕日」でも鈴木オートのオヤジもちゃぶ台返していましたね。でも元祖は「巨人の星」の星一徹で決まりでしょう。一徹に殴られる飛雄馬、派手にひっくり返る飛雄馬とちゃぶ台…必死に止める姉の明子。でも「新・巨人の星」で明子が花形と結婚したのは許せなかったな。

 

 もとい、そんな昭和な茶の間は食べるものは粗末でも、笑ったり、わめいたり…ドラマそのまんまの日常風景がありました。そこには頑固親父と優しい母がいて、あふれるような人情味がありました。
なつかしいついでに我が家のお宝「火鉢」ストーブやエアコンじゃ絶対出せない味があるからでございます。囲炉裏火鉢といった大それたものではありませんが、手あぶりといった極フツーのもので、しかも四角木製のもので、親戚にねだってもらったものです。

 

 火鉢に手を当てると、ほんのりと心の中まで温まります。炭火のパチパチという小さな音もまたオツなものです。ただ、今の高密度の住宅事情にあっては一酸化中毒の危険性あるからヤバイので気をつけないと…。
 亡くなった親父が火鉢のそばでよくキセル煙草を吸っていたのを思い出します。そして、通信簿が良くないと、よくそのキセルでよく叩かれたものです(-_-;)。

  


Posted by おさむ茶 at 12:47Comments(9)昭和な時代

2006年11月15日

サイコロキャラメル

 スーパーロングセラーなサイコロキャラメル、なつかしいですなあ。
まだシーラカンスのように、しぶとく生きながらえていたんですね。
 わたしらのときは1個5円でしたけどね。
箱の中に2個のキャラメルは入っていて、2個というところがちょうどおやつとしては絶妙なバランスでしたね。



 小学生遠足時には、チューブ入りチョコとサイコロキャラメルが必須アイテムでした。この昔から変わらないパッケージは今見てもかわいいっすね。いつごろ発売されたのかとネットで調べたら…な、なんと昭和2年2銭で発売だとか…ヒェー!  


Posted by おさむ茶 at 16:24Comments(4)昭和な時代

2006年10月24日

ALWAYS昭和の夕日


 山形のレトロ展に行ってきた時の、なつかしい昭和の風景絵画展画像です。
子供たちがチャンバラごっこで遊んでいるシーンです。
実に当時の状況を細かく描写しているのに感心し、しばし足が止まりました。
 夕暮れ時に時の経つのも忘れて、近所の空き地で…そうよく土管かなんかが置いてありました。チャンバラごっこでは、善玉主役と悪玉切られ役に分かれますが、その役割分担ではビミョーな力関係で決まったものです。



 切られ役には善玉主役をやっつけないという暗黙のルールがあり、この絵では飛び降りている鉢巻に手裏剣&二刀流が善玉、下で迎え撃つのと背後から闇討ちをかけようとしている2人が悪玉でしょう。 刀は、桑畑から枝を失敬して加工するのですが、善玉のはそれらしく立派な刀を持ってたようです。そのほか、空き地遊びといえばビー玉、メンコ、コマ遊び…いや~なつかしい昭和の原風景です。
  


Posted by おさむ茶 at 22:21Comments(0)昭和な時代